描くモチベ禅問答

イラスト

昨日は竹取の湯行けた

表紙の写真竹取の湯の内側のクレーンゲームコーナー
ガジェット感強めのデザインのゲームコントローラ🎮️って良いんだよな
マンガのモチーフとしてもバリエーション増やしていきたい
バイト週3勤務にしてもらってQOLあがっている

何も考えず、サウナ入って
岩盤浴して
禅問答的に考えてたこと

そもそも絵なんて初めから描かなくてもいいじゃんということ

西洋美術史についてこのとろこ少し考えてたので
思索が派生した

かつては、宗教画とか聖書の挿絵とか戦争の販促とかなんやかんやとか商売とか政治とかに絵画とか版画とかポスターとか手紙とかで
絵とか文字とか必要だった
記録伝達としても必要だった

古代、中世とか色々人類やって

18世紀のイギリスでついに産業革命が起こってしまった

絵の具は工場でチューブに入ったホルベインのやつが大量生産されるし
写真ができるし
もう絵描きいらないじゃん
写実的なやつ頑張ってやんなくていい
デッサン力関係ないとなった

その土台あって印象派の作風がでた

もう絵なんて描かなくても良くなったから
写真ぽさより、雰囲気
光だけクールにリリカルに伝えようと

そのはずなのに、絵描きは
度々自分たちのデッサン力の無さとか
自然の完璧さ宇宙を捉えきれずにいる無力感に
日々悩まされたりする
自分絵ヘタだな
上手くなりたいなとか

このところ絵のモチベさがってた時でもあったのでそんなこと岩盤浴しながら禅問答してた

今現在の環境も含めて考えてみたんだが
とくに近年はやはり生成AI

写実的な表現は速さも質も機会化したほうがいい

とくに写実的な表現は描くバリュー減った
もう人間描かなくていいんだ

なんでかいてんの?と禅問答してて

でも答えはすでに君が持ってるよと

印象派期もそうだったし、
それ以前から別に描く必要なんて無くていいんだよと

むしろ写実的なやつ描く必要なくなったからこそ
モネの睡蓮が、セザンヌの静物画が生まれた

ぼちぼち、また竹取の湯行きたいな

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