Noteの思い出

エッセイ

隣のおじさんの痰が気になる
痰をはあはあ、グアグア言いながら
詰まらせている、
同じマックの室内で息してたら
痰が絡んでようがいまいがどちらにせよ、不潔なんだろうけど

マックって店舗によっていろんな形態がある
このところのお気に入りでルーティーンになっている
多摩ニュータウン店は静かでいいんだけどちょっと寒いんだよな。

このところ、雑記がとどこおってしまった、
手元の手帳に手記を書きつけるのも後回しになりがちかつ
このところ、朝の通勤時には積極的に読書するようになっていたから

小倉重成先生の臨床漢方問答を積極的に開くようにし始めていた。
アウトプットとインプットのバランスって大事なんだな。
もちろんインプットしていくことも大切だけど、アウトプットはもっと大切にするべきだ
本読んでる自分偉いでしょ!みたいになってしまうといけない。
読むだけ専門になって、自分では何も生み出していない人のことを揶揄して
「論語読の論語知らず」とも言うんだろうな

読まないよりは、読書してる方が有意義ではあるんだけど
デッサンとか楽器にしても言えることだよな

Webサービスツールの思い出も書き残しておこうと思った
今日はNoteの思い出

Noteを知ったのはいつ頃だろう?
2017年くらい?(今ググってみたら2014からサービス開始してるみたい)
自分がnoteを特に意識したのは2020年2、3月ごろ
その年、発売が控えていた「集まれどうぶつの森」の予想、期待レビューみたいなものを書いているかたがいたこと、
客観的にそれだけの情報で振り返ってみると、どうってことない
よくあるブログ記事っぽい気がするし
実際、普通のよくあるブログ記事だったんだけど
その時の受ける印象をすごく覚えている
多分単純にブログの記事ページが綺麗なデザインに見えたんだと記憶している
デフォルトのテーマが美しいんだよな
うまくいってて、自然に使われてるとあんまり気づかなかったりするんだけど
そういうのってあるんだよな、
なかなかすごいことなんだけど、当たり前になってしまってることって
評価されてなかったりする気もする、
なのでそう言うものに触れたときは、声高に
これはいいぞ!すごいぞ!ってことを言っていきたい

残念ながら2023年現在そのnoteの記事を検索から見つけられなかった、
もしかしたら、自分の検索が甘いだけかもしれないけど

まあそもそもwebサーバー上とかネット空間にある情報って
曖昧で刹那的で不確かなものが多いし、
それが逆に良さであもある

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